さて、何度もしつこいようですが、本日25日は私の
誕生日 なんですね。
で、ブログを始めて初の、その記念すべき誕生日に何の記事を書こうかなぁ~って
考えていたのですが・・・
私がずぅ~~っと温めてきた話を一つ、この機会に公開しちゃいます!
新卒でICUナースになりかれこれ7年が経ち、
今年8年目に突入しようとしているところですが、
その長い看護師歴のなかで間違いなく
一番印象に残っているエピソード。
これは、遡ること6年前の夏。
プリセプターとの3ヶ月にわたるトレーニングを終え、
独り立ちして僅か半年くらいの頃。
この時受け持ったのは
50代の女性患者さん。
旦那様と20前後の息子さんと娘さんがいらっしゃる方。
この患者さんは
癌を患っていらして、既に入退院を繰り返す
闘病生活3年。
気管切開をされて常に呼吸器に繋がれた状態。
食事も口から取ることが出来ず、確かお腹の
胃チューブを通しての栄養補給。
長い病床生活のため、お尻にひどい
床ずれも。
喋るのも気管切開のため
声が出せないので、紙に書いてコミュニケーション。
ただこの患者さん、気はとても確かだし、いつも比較的お元気で、
自分で髪を梳かしたり歯を磨いたり、セルフケアを一人で問題なく出来る方。
病人なのにも拘らず、不思議なことになんだか
テキパキした印象がありました。
ところが・・・
そんなICUでは珍しく元気でテキパキした患者さんなのに、
夜勤のナースからの申し送りでは
「明日、
本人の強い意志で安楽死を開始する予定。」
とのこと。
私は、もちろん
「えっ?!あんなに元気なのに何で??!!」って反応。
安楽死の患者さんは何度となく看てきましたが、実際に死に近い患者さんばかりで、
こんなに元気なケースは珍しく、今過去を振り返っても、この時くらいかな。
あ、ちなみにここで安楽死って私言っちゃってますが、
勉強不足により安楽死の正確な定義として安楽死の部類に入るのか定かではありません。
そこのところご了承くださいませ。。。
とくかく、私がここで言う安楽死というのは、英語で
Withdrawal Care、Comfort Care、 End of Life Care などと呼ばれるもので、
大きく言えば、Palliative Care(
緩和ケア)のカテゴリー下に入ります。
もしかしたら、
尊厳死と言ったほうが近いのかな。。。
具体的にどういう方法を取るかというと、その人それぞれでオプションは様々ですが、
一般的には
- 抗生物質その他諸々の病気に治療につながる薬の投与を止める
- 昇圧剤の点滴や輸血など、延命に繋がる全ての行為を止める
- 血圧などのバイタルサインチェックや全ての検査を止める
- 呼吸器や人工透析機などの機械から外す(気管内挿管の場合は抜管)
- モルヒネやフェンタニルなどの鎮痛麻薬の点滴を始める
というように、一番のゴールは
延命に繋がる行為を止めて、痛みや不快感の緩和に専念し、安らかな死を迎える
ということです。
一応医師がオーダーを書きますが、あとは全て看護師の手に任されます。
つまり、モルヒネなどの点滴の量を調節するのもナース、
抜管や呼吸器を外すタイミングを見計らうのもナース、
昇圧剤の点滴をストップするタイミングを見計らうのもナース。。。
死の時期を左右してしまう、責任重大な大仕事です。
もちろん、必要に応じてその都度ドクターや呼吸療法士と話し合いながら決断を下します。
とにかく重要なのは、
患者さんが
安らかな死を遂げること。
なので、呼吸器を外す前に、機械から外しても呼吸が苦しくならない状態まで
モルヒネなどの鎮痛麻薬剤の点滴の量を上げてあげなくてはなりません。
・・・とここまで書いて、何だか安楽死の話だけでどんどん長くなりそうなので、
安楽死についてのこの続きはまた改めて詳しく別の機会に書くことにします。
本題に戻りますね!
安楽死を翌日に控えた患者さん。
そんな素振りなんてちっとも見せず、笑顔も垣間見せるほどの元気さ。
1日中ベッドでコツコツと何だか書き物をしたりと忙しくしてらっしゃいました。
後に、これが友達や親戚一人一人に宛てた手紙ということが判明したのですが。。。
私としてもこんな元気な患者さんが翌日に亡くなってしまうかもしれないという実感も湧かず、
普段どおりのお世話をしていました。
そして患者さんとの会話。(私は声で、患者さんはペンと紙で)
患者さん:
"Are you from here?" (ここら辺の出身?)
私:
"No, I was born and raised in Japan." (日本生まれの日本育ちです)
なんていう何気ない会話から始まり、この患者さんは、
自分がテニスプレイヤーだったこと、
ジャーナリストだったこと、
世界中を旅したこと、
などをいろいろな話をしてくれました。
私は私で、日本の話とかいろいろしました。
そして、
この会話の最後に患者さんが一言。
"I want to go to Japan someday." (いつか日本に行きたいわ)
ん???
ていうか、あなた明日安楽死する予定じゃなかったっけ???
「いつか」っていつ???
これって、明日亡くなるかもしれない人が言う言葉???
私はものすごく戸惑ってしまいました。
もちろん患者さんの前では、
"Yes, you should come!! It's such a beautiful country!!!"
(そうよ、ぜひ来て!とっても美しい国だから!)
と言ってみたけれど。。。
安楽死(尊厳死?)をする決意を改めて欲しいという願いも密かに込めて。。。
まだ独り立ちして半年の新米ナースの私は、どうしたら良いのか分からなくて、
先輩に相談しました。
ドクターに連絡して、ちゃんと
精神科医のコンサルトが行われ、
単なるうつ状態から死にたい気持ちが生まれてしまったのではないか確認とったのか、
などなどいろいろドクターに確認したのですが、その日はあまり取り合ってもらえず。。。
一夜明けて、安楽死当日。
その日も私がこの患者さんの担当。
私はどうしても、彼女のあの一言が腑に落ちなくて、
なんとか出来ないかと最後まで暗中模索していました。
だって、単なる一時の衝動による決断で死んでしまったとしても、
あとから取り返しがつけられませんから。
看護師として、自分に対しても納得のいくまでこの患者さんの決意を確かめたい。
もう一度、ドクターに連絡して、患者さんに最終確認をとってもらうことにしました。
ところが、ドクターはちょっと怒り気味。
というのは、今まで何度も話し合って彼女が意を決して数日前にやっと決めた決断に対し、
今更それを正そうとして彼女の気をわざわざ乱し
精神的苦痛を与えたくない、と。
先輩を含め、私達ナースとしては、私にあんな発言をしたからには、
もしまだ少しでも
生きる望みを捨ててない可能性がある限り、
やっぱりちゃんと最終確認を取って欲しいと懇願。
結局、ドクターと数名のナースで囲んで、患者さんに最終確認を取りました。
私も
「私に『日本にいつか行きたい』って書いてくれたよね?」って患者さんに聞くと、
「あれは・・・。なんとなく・・・。」みたいな答え。
きっと複雑な心境が常に入り交じってたんだろうなぁ。。。
患者さんはこの話し合いで涙を流す結果となってしまいましたが、
患者さんの断固とした意志をスタッフ皆で最終確認。
やっぱり、意志は変わらないか。。。
と内心残念な気持ちはありましたが、患者さんの意志をそこは尊重。
でもそれでも、ほかに何かできないかと思い、
倫理委員会の人を呼んで相談しました。
すると・・・
お見舞いに来た旦那さんがナースステーションに来て、不思議そうに訪ねました。
「えぇ~っと、ちょっと確認したいんだけど。。。 状況・・・分かってるよね???」
(治療を止める筈なのになぜまだ抗生剤の点滴投与してるのか疑問だとのこと)
「はい。 でも、ドクターの安楽死のオーダーが最終的に出るまで、意志が変わる可能性も考慮して、治療行為を続けなくてはいけないんです。」
「あ、なるほどね。 そういうことだったらいいんだけど・・・」
「ご了承ください。」
「あのね・・・、彼女まだ元気だから、多分あなた達にとって彼女の決断は理解しがたいことだと思うんだけど。。。」
「僕も最初は理解できなくて大反対したんだよ。。。 でも、先日彼女が家族一人一人に手紙を書いてね・・・」
と言って、この旦那さんはその手紙の内容を話し始めました。
その衝撃の旦那さんへの手紙の内容とは・・・ (かなり掻い摘んでます)
「私は今まで、人生を思いっきり楽しんできました。
プロテニスプレイヤーやジャーナリストとして世界各地を旅して、
人の何倍も人生を謳歌できたこと、誇りに思っています。
そして、幸運にもこんなにステキな旦那さんや愛する子供達と
めぐり合うことが出来て、本当に幸せです。
((そしてこの手紙の中でいろいろな思い出を綴る))
この3年間の闘病生活、私のこと一生懸命支えてきてくれてありがとう。
ただ、これまでこんなにフルにアクティブに人生を楽しんで来たからこそ、
私は今のほぼ寝たきりの闘病生活にもう耐えられないのです。
だから、私はもう自分の人生に終止符を打つことにします。」
そして、この手紙の一番最後に書かれた一言・・・
”Do you love me enough to support my decision?"
「(死にたいという)私の決意をサポートしてくれるくらい、
あなたは私のこと愛していますか?」
この手紙の内容を真摯に聞いていた私を含む数名のナース全員、涙溢れ出す。
本当に・・・あまりの衝撃で・・・言葉が出てきませんでしたね。。。
こんな切ない愛の形、愛情表現って。。。
深過ぎて、想像もつかない。。。
この旦那さんは、この手紙を読んで以来、彼女のしたいようにさせてあげよう、
と決意なさったそうです。
もちろんそれは深い深い愛情から。
私はそんな深い愛情を与えることができるのかな。。。
そんな深い愛情を与えてくれる人にこれから出会えるのかな。。。
この手紙の話が一段落したところで、倫理委員の方がエキスパートらしい一言。
「彼女と家族皆で、裏庭にでも行って外で少しお散歩でもしたらどうかしら?」
な~んて、簡単に聞こえるかもしれませんが、これって結構大変なことなんですよ。。。
なんせ、呼吸器に繋がれてるICU患者さんですから。。。
お散歩に行ってる間に容態が急変して命を落としてしまう可能性だって否めません。
ICUの患者さんは機械に繋がれているだけあって、普段外に出るなんてもってのほか。
病室も暗くてほとんど陽の当たらない感じ。
でも、そんな状況にいた患者さんだからこそ、亡くなる前にほんの少しでも
外の空気を吸わせてあげたい。
燦燦と照りつけるカリフォルニアの太陽を最後に見せてあげたい。
この倫理委員の方のお陰で、私の中で、そんな強い気持ちが生まれてきました。
ということで、早速呼吸療法士にも手伝ってもらって、裏庭に散歩に行くことに。
呼吸器から外して、酸素バッグで呼吸を手動サポート。
モニターも移動用モニターに替えて、常時容態チェック。
慎重にベッドから車椅子に患者さんを移動して、
どんな状況になっても準備万全な状態でいざ外へ!!!
くねくねと長い病院の廊下から一歩外へ出ると、
青空とともに燦燦と照りつけるカリフォルニアの名物、カリフォルニア・サンシャイン☆
そして、青空に映える緑と色とりどりの花々。
可憐なアガパンサスもあれば、
ボーゲンビリアの鮮やかなピンクもあり、
更にはカリフォルニアの夏の風物詩のジャカランダの藤色も。
写真は全てイメージ像ですが、そんなちょっとした自然に囲まれた一時。
「暑いでしょ?木陰に入る?」
って患者さんに聞くと、
「いいえ、太陽が気持ちいいからこのままがいい。」
って患者さんは嬉しそうに、
太陽の方に顔を向けて、その太陽の温かさや輝きを体全身で受け止めていました。
あの気持よさそうな満面の笑み、今でも鮮やかに覚えていて、一生忘れられない。
気管切開されてるけど、大きくゆっくり息を吸いながら、匂いを嗅ぎながら、
体全身で外に出られた爽快感、自然に囲まれた幸せを噛み締めてらっしゃるようでした。
私もご家族も、涙が出てきそうになったけれど、そこは敢えて他愛のない会話。
「あ、あそこに咲いてるのはアガパンサスね。」
とか、
「ジャカランダ綺麗ね。」
とか。。。
幸い、私はカリフォルニアの木花の名前は知人に教え込まれていたので、そんな会話。
モニターもあったし、手動の呼吸サポートなので家族水入らずという訳には
してあげられなかったけれど、
何気ない会話の裏には、こうして外で人生の最期のキャンバスに鮮やかな色を付けている、
家族との掛け替えのない一時という特別な空間が広がっていて。。。
私は、何とか外に連れて来てあげることが出来て、本当に本当に良かった!
って、それだけの気持ちを噛み締めるのが精一杯で。。。
確か30分程度のほんの束の間だったけれど、
その時間は家族にとっても患者さんにとっても、輝かしい大切な宝物になったと信じてます。
普段、何気なく通り過ぎてる木や花、暑くて鬱陶しいと思う太陽の光であっても、
病気でそれすら見ることの出来ない、感じることの出来ない患者さんにとっては、
ものすごく価値のある尊いものなんですよね。
この患者さん、1日延期して翌日に安楽死が始まり、息を引き取ることとなりましたが、
その後数ヶ月経ってからも、倫理委員の方を通じて、
「あの時のこと、本当に感謝しています。」
と、ご家族の感謝の気持ちが私のところまで伝えられました。
こんな風に、ちょっとしたことで、
患者さんの人生の最期の数ページに色をつけてあげられる、
そんな職業って、素晴らしいなって思いました。
こんな当たり前の小さなこと、数分のいたわりで
人の心に響く時間を生み出せる。
ナースの仕事って、きっとそんな小さなことの積み重ねなんですよね。
この患者さんはご家族にとって、この時間が宝物となったかもしれないけど、
私にとっては、この患者さんが気持よさそうに見せてくれたあの満面の笑みが、
私の一生の宝物です。
P.S.
長~い長~い記事になっちゃいましたが、最後まで読んでくださってありがとう☆
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