カリフォルニアの大学病院にあるICUで看護師をして7年目。 ICUの中で起こる日々のドラマ。 アメリカの命の現場から生の声をお届け! アメリカ医療の裏側やナースの日常を覗いてみませんか? まずは「ハイライト」内の記事からチェック!!
クリスマスの昨日、私のとっても大切な人が、私の手の中で息を引き取りました。
ジョニーおじさんは、
アメリカに居る私のたった一人の家族。
私の人生最大の恩人。
私を決まって笑顔で迎え、いつも無償の愛で温かく包みこんでくれた人。
12年前、初めてのアメリカ旅行でラスベガスに寄ったとき、
とっても不思議なご縁で、この人の親戚を通じて知り合いました。
それからというもの、私が留学するにあたって、ものすごくお世話になりました。
留学中、数ヶ月間借りして家に済ませてもらったこともありました。
この人の助けがなかったら、私はこうしてアメリカで無事ナースとして働けてなかったかも。
私がアメリカで初めての授業の登録手続きをするときも、
私が初めて右ハンドル・右車線での運転を練習するときも、
私が看護師の国家試験の勉強に奮闘しているときも、
私が初めてマイカーを買うときも、
私の就職が決まって職場近くで部屋探しをするときも・・・
ジョニーおじさんは、いつも私のそばに居て、いつも私のことを精一杯応援してくれました。
元はといえば見ず知らず、全くの赤の他人だったのに、
実の娘のように私のことを大切に想い、時には心配し、可愛がってくれました。
気がついたらお互いにとって実の家族のような存在になっていました。
家族と過ごすのが慣習となっているアメリカのクリスマス。
私の初めてのアメリカでのクリスマスもジョニーおじさんと一緒でした。
毎年、当たり前のようにクリスマスを一緒に過ごしました。
その初めて一緒に過ごしたクリスマスから8年経った今年のクリスマス。
いつもの温かくて穏やかなクリスマスの欠片も無かった。
85歳にして白血病と骨髄線維症を患っていたジョニーおじさんは、
家族と本人の意向もあり、クリスマスイヴの2日前から
ホームホスピス(自宅での緩和ケア)
として、自宅で安らかな死を迎えようとしていました。
クリスマス・イヴの日、仕事を終えすぐにジョニーおじさんのところへ直行。
できるだけ多くの時間を一緒に過ごせるように、泊り込みする準備をして向かいました。
それでも私が家に着いた頃にはおじさんはもう寝ていたので、
実の息子の意向をくんで、会わないでそっとしておいてあげることにしました。
そして、翌朝。
私が久しぶりに会ったジョニーおじさんは、
血にまみれた状態で、寝室の床に横たわっていました。
きっと、何かをするために一人でベッドから立とうとして、倒れたのでしょう。
おじさんが寝ている間も1時間置きにチェックをしてはいたので、
発見は早かったのですが、意識がなく呼吸困難に陥っていました。
気道を確認し、モルヒネで呼吸を楽にしてあげた後、なんとか上半身を起こし、
酸素を吸入しながらできるだけ呼吸に負担のない姿勢を確保しました。
その朝家に居たのは、実の息子と私だけ。
意識もなく体がむくんで重くなっているため、2人だけでおじさんを床からベッドに戻すのが
困難と思われたので、ホスピスナースを急いで呼んだけれど、
クリスマスのためか、来るのに数時間かかると。。。
仕方なく、おじさんの彼女(といっても77歳)を電話で呼んで、
ベッドに体を戻す作業を少しでも手伝ってもらうことにしました。
彼女が駆けつけてから、3人掛かりでなんとか体をベッドに戻し、
また呼吸が苦しくないような姿勢を確保しました。
それから数分としないうち。。。
最愛の息子、奥さんが亡くなった後15年連れ添った彼女、そして私、
いつもそばに居た3人の手に包まれ、ジョニーおじさんは永遠の眠りに就きました。
3人に囲まれていた最後の数分は、痛みや呼吸困難の症状も見られず、
とっても穏やかな、短くて長い時間でした。
ジョニーおじさんの最後の息を3人で看取ったあと、
3人で協力して、体を拭き、新しい服を着せ、
シーツや枕カバーを全部エジプト綿の新品のものに替えました。
ジョニーおじさんは亡くなる前に、死んだ時の希望を明確にしていたのです。
おじさんの威厳を保つこと。
エジプト綿のシーツに亡き骸を包むこと。
とても安らかな顔をしたジョニーおじさんを目の前に、
意識のまだあった前日、無理にでも会おうとしなかった自分に後悔。
時間を作って、もっと頻繁におじさんを訪ねに来なかった自分に後悔。
そして、ありがとうの気持ちも、愛してるの気持ちも、伝えたいことがいっぱいあったのに、
それを喋れるうちに、意識のあるうちに伝えなかった自分に後悔。
初めて一緒に過ごしたクリスマスから8年。
用意をしていたクリスマスプレゼントのカーディガンを見せてあげることも、
着せてあげることもできず、
「メリー・クリスマス」の代わりに言った「さよなら」の言葉。
2日経とうとしている今でもまだ信じられない気持ちでいっぱい。。。
一緒に過ごす時間も、
いつも私を笑顔にした気の利いたイギリスジョークも、
太陽のような笑顔も・・・
もう手の届かないところにある。。。
ジョニーおじさんは、私が看護師になるために、多大な貢献をしてくれた人だけど、
私はしっかりおじさんの看護をできたのだろうか。。。
亡き骸をきれいにしてあげるのも、看護師のとっても大切な仕事で、
今まで看護師として何人もの患者さんの亡き骸をこの手できれいにしてきたけど、
おじさんの亡き骸をきれいにするのは、さすがに辛くて、涙が止まらなかった。
看護師になろうと奮闘していたを精一杯応援してくれたおじさんに、
もっと他の形で看護で恩返ししてあげたかったなぁ。。。。
前回の記事で、『強く生ようと想う日』を作ろうと思います、
と書きましたが、まさかその翌日にその日が来ると思いませんでした。。。
ジョニーおじさんが、私に教えてくれたこと、
ジョニーおじさんが、私の心の中に残してくれたもの、
そして、ジョニーおじさんが精一杯応援してくれた、看護師としてのキャリア、
それを生涯大切に、これからも強く生きていきます!
・・・って強く言えるほど、まだ喪失感から正直立ち直れていません。
先日『クリスマス・イヴの誓い』 という記事を書いたばかりなのに、
当の私がこんな状態で。。。
読者の方、ごめんなさい。。。
でも、きっと来年のクリスマスには、ちゃんと『クリスマスの誓い』をして
「生きよう!」と強く想えるようにしますね。
次に働くときは、このお婆さんに話しかけてみようかな・・・
と思いながら、仕事にいったのですが、既に時遅し。
この患者さん、ICUから他の病棟に移動されてました。
もっとちゃんと気が付いたときに話しかけてあげれば良かった。。。
でもその時は、なんか胸がいっぱいでそんな余裕なかったよ。。。ごめんね。
ちょっと後悔。。。
どうかこの患者さんが、体の痛みも心の痛みもない安らかな死を迎えられますように。。。